ユニバーサルデザインとバリアフリー
バリアーを取り除くと言う事は対応の商品を取付ける事ではなく
先ずは心のバリアーを取除いてから始めましょう。
昨今、バリアーフリーと言う言葉が使われるようになりました。「障害を取り除く」と言うことですが、少子化・高寿命高齢化による近来の老人社会に対応して現代建築もその社会の変化に対応した建築を意識しだしました。住宅では段差を無くし、階段には手摺を付け、車椅子で家の中を自由に動けるように廊下は広く、キッチンの高さは低くし足元は膝が入るようにする。など老人の立場で設計するようになりました。
ここで少しタイムスリップしてみましょう。石器時代の老人はどうだったのでしょうか?当時の平均寿命は45歳位だと思いますが、老人でも病気でない限り体が動くまで労働していたと思いますが、学校が無い社会では老人の経験や知識が大切にされたのだと思われます。その経験や知識の話は子供たちだけでなく大人たちにも貴重な知識になった筈です。老人の話はまるで未知との遭遇で会ったのだろうと思われます。子供たちは目を見張って食い入るように老人の話しを聞いたでしょう。このような社会では長老は大切に扱われました。
現代社会に戻りましょう。会社に尽くし退社した人々は、今度は昔の老人のように社会に貢献すべき活動の場を与えるべきであると思います。そういう社会であるべきです。老人を使い捨てにしてはいけません。確かに昔のように老人の知識を頼らなくても書籍やメデアで豊富な知識は得られるようになりました。しかし、そのような情報や知識は一方的な情報です。心温まる知識は必ず双方関係になければ成り立ちません。これが老人の経験と知識と言うものです。この豊かな経験と知識を尊重し交流を建築を造る側も持たなければ、より良い建築は出来るはずもなく、ただ単にバリアフリーの商品を使うだけでは本当のバリアフリーには繋がりません。
障害をお持ちの方に、この国はどれだけ手を差し伸べたでしょうか?障害者や老人にとって本当のバリアーとは何でしょうか?以前障害者を持つ母親から「障害者にとって人の心がバリアーになっているようです。」と聞いた事があります。正にその通りではないか。わたしが設計する前に、先ず私の心のバリアーを外す努力無くして、心あるバリアフリーなど出来るはずありません。残念な話しですが、世の中まだまだ福祉のお金に群がる政治家・施工者や設計者が多いと聞きます。このような人たちに考えてもらいたい。先ず、あなたがたの
心のバリアー
を取る事を。
建築も老人や障害者と地域の人々の出逢いの場として、もう一度考え直す必要があるのかもしれません。ハードをいくら作っても心のソフトがなければ意味がありません。
YUKIO OGIHARA
ARCHITECT & SHOU ASSOCIATES